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埼玉古墳群の世界遺産登録

2007 - 09/14 [Fri] - 00:00

埼玉古墳群の世界遺産登録
県と行田市、18日提案

 県と行田市は十三日、埼玉(さきたま)古墳群を世界遺産登録するため、提案書を十八日に文化庁長官あてに共同提出すると発表した。提案コンセプトは「古代東アジア古墳文化の終着点」に決定。同古墳群から出土した国宝・金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)が五世紀の中国王朝と日本の地方豪族を結び付け、古代東アジアの政治史を探る唯一の史料であると強調し、埼玉古墳群の世界的な文化価値を“売り込む”考えだ。

世界的価値、国へPR

 世界遺産に登録されるためには、日本政府がユネスコ(国連教育科学文化機関)に推薦し、ユネスコの審査を待たなければならない。日本の中で候補になるには、まず「国内暫定リスト」に登録されることが必要。今回の提案は、この暫定リスト登録を目指した手続き。リスト入りが初めて公募方式になった昨年は、提案二十四件のうち群馬県の富岡製糸場など四件が登録された。現在の登録は昨年の四件を含め、「平泉の文化遺産」(岩手県)など計七件で、ユネスコへの推薦に向け、国主導の条件整備が進められている。

 提案書は、五世紀の東アジアの国際秩序を探る上で埼玉古墳群の文化的価値を強調。稲荷山古墳から出土した同剣には西暦四七一年、行田の地方豪族が日本の大王に仕えたことが記されている。一方、当時の中国・宋時代の書物「宋書倭国伝」には四七八年、当時の日本の大王が宋の皇帝に位を求めた記述がある。こうしたことから中国王朝を頂点とする当時の主従関係が、日本の中心だった関西地方を経て、末端である行田の地方豪族 にまで影響していた史 実をうかがい知ること ができ、担当者は「埼 玉古墳群は地理的にも時間的にも、古墳文化伝来の終着点」と強調している。

 埼玉古墳群は古墳時代中期から終末期にかけて継続的に造営された十一基の古墳群で、うち九基が国史跡指定。提案書は①国内外に例がないほど多様な大型墳が密集している②五世紀の政治構造を証明する同剣が出土した古墳が存在するまれな古墳群│と他の古墳群との違いをPRしている。

 地元行田市は今後、市景観保護条例を策定し、古墳群周辺を含む保全範囲を設定して自然と歴史を生かした整備を進め ていく方針。県教育局生涯学習文化財課は「提案するからには確信を持っている。良い返事をいただけるように待つ」と期待を込めている。暫定リスト登録の可否は、来年四月ごろ判明する見込み。

地元の期待膨らむ

 埼玉古墳群の世界遺産登録に向けた第一歩に、行田市民か らは喜びと期待の声が上がった。

 市民有志で結成する「世界遺産サポーターの会」の会員で、地元埼玉地区に住む金子孝生さん(65)は「まだ先の長い話ではあるが、ようやくここまできた感じ」と、提案書作成に感慨深げ。「埼玉古墳群の歴史的価値には自信を持っており、まずは国内暫定リストに登録される ことを期待している。そして 地元の財産である古墳を世界 に送り出したい」と力強く語った。

 「サポーターの会」には二千三百四十九の市民や地元企業・団体が名を連ね、会員同士で勉強会を開いたり、古墳をモチーフにしたキャラクターグッズをイベント会場で配布するなどしてPRの輪を広げている。

 同会の鈴木秀憲会長は「国への提案はまだ取り組みの第一段階。暫定一覧表の記載候補には全国から多くの歴史的資産が集まっており、少しでも早く登録されることが大切」と語り、そのためにも古墳群の保護や周辺環境整備を課題に挙げた。

 世界遺産登録候補の?日本代表入り?は激しい争い。鈴木会長は「市民をはじめ県内全域の協力を得ながら、多くの観光客に埼玉古墳群の良さを知ってもらい、世界遺産登録への機運を高めていきたい」と話した。


埼玉新聞
http://www.saitama-np.co.jp/

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新田部皇子の邸宅か 奈良・竹田遺跡

2006 - 11/26 [Sun] - 00:00

新田部皇子の邸宅か 奈良・竹田遺跡

 奈良県明日香村の竹田遺跡で、飛鳥時代(7世紀後半)の大型建物跡など6棟の遺構が見つかり、21日、村教育委員会が発表した。天武天皇が開いた飛鳥浄御原(きよみはらの)宮を見下ろす高台に位置し、さながら「ビバリーヒルズ」のような飛鳥の高級住宅地だったとみられる。

 万葉集には天武天皇の皇子、新田部(にいたべの)皇子がこの地に邸宅を構えたことを示す和歌があり、村教委は「皇子邸との関連も含め、さらに調査したい」としている。

 今回見つかった遺構で最も大きいのは東西4.8メートル、南北6.6メートル以上の建物跡。柱の据え付け穴は一辺1メートル前後と宮殿クラスの大きさで、皇族や高級官僚の邸宅の可能性が高い。

 和田萃(あつむ)・京都教育大教授(古代史)は「相当の権力者の邸宅跡であることは間違いない。宮殿を見下ろすこの丘陵には、高級官僚らの邸宅がびっしり建てられていたのだろう」と話している。

 また、万葉集には柿本人麻呂が新田部皇子の屋敷でよんだとされる歌があり、皇子邸が「矢釣(やつり)山」の近くにあったとされる。竹田遺跡は「八釣地区」のすぐ西にあることから、皇子邸の可能性も浮上した。

 竹田遺跡のすぐ南の「小原地区」は、大化の改新(645年)で中大兄皇子(後の天智天皇)とともに蘇我氏を滅ぼした中臣鎌足(614~669年)の生誕の地と伝えられており、この地域一帯に皇族や高級官僚の邸宅が広がっていたとみられる。

 ■新田部皇子(生年不明-735年) 天武天皇の皇子で、奈良時代の政変「長屋王の変」(729年)をめぐり、藤原氏と対立した長屋王の罪を糾弾。軍事を統括する畿内大惣管(きないだいそうかん)に任命された。天然痘で死去。その後、息子の道祖王(ふなどおう)が、藤原氏打倒を企てた奈良麻呂の乱(757)に連座し、平城京内の新田部皇子の旧宅が没収され、唐招提寺(奈良市)として建て直された。

産経新聞 11/22
http://www.sankei.co.jp/news/061122/bun002.htm

バーミヤン遺跡に「人間と猿」壁画発見 7世紀前半

2006 - 10/07 [Sat] - 00:00

バーミヤン遺跡に「人間と猿」壁画発見 7世紀前半

 【バーミヤン(アフガニスタン中部)=共同】アフガニスタン中部にある国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産、バーミヤン遺跡で1日までに、7世紀前半の唐草模様とともに描かれた人間の上半身と猿の図柄の壁画が新たに確認された。同遺跡の保存・調査活動に当たる日本の独立行政法人、文化財研究所のチームが発見した。

 調査に当たった同研究所の山内和也・地域環境研究室長は「さまざまな文化を受け入れてバーミヤン独自の芸術を生み出したひとつの例。バーミヤンでの仏教文化の繁栄期を象徴するもの」と話した。

 今回の壁画は、旧政権タリバンが破壊した東西の大仏立像跡の間に位置し、今年7月の調査でペルシャ神話の霊獣「シームルグ」の壁画が確認された石窟(せっくつ)「N窟」で見つかった。シームルグと同じく、天井の一部を区切る縦4センチ、横46センチの梁(はり)を模した三角形の側面部分で確認された。左手を口元にかざす猿と、右手をかかげ猿と向き合う人間の図柄が描かれている。 今回の壁画は、旧政権タリバンが破壊した東西の大仏立像跡の間に位置し、今年7月の調査でペルシャ神話の霊獣「シームルグ」の壁画が確認された石窟(せっくつ)「N窟」で見つかった。シームルグと同じく、天井の一部を区切る縦4センチ、横46センチの梁(はり)を模した三角形の側面部分で確認された。左手を口元にかざす猿と、右手をかかげ猿と向き合う人間の図柄が描かれている。

【2006/10/02 産経新聞東京朝刊】

http://www.sankei.co.jp/news/061002/bun004.htm

「平泉」を世界遺産に推薦 中尊寺などの文化的景観

2006 - 09/21 [Thu] - 00:00

「平泉」を世界遺産に推薦 中尊寺などの文化的景観

 政府は14日、世界遺産条約関係省庁連絡会議を開き、中尊寺などから成る「平泉―浄土思想を基調とする文化的景観」(岩手県平泉町、奥州市、一関市)を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産(文化遺産)に推薦することを正式に決めた。

 来年1月にユネスコ世界遺産センターに推薦書を提出。世界遺産に登録されるかどうかは、専門家による審査を経て平成20年7月ごろ開かれる第32回世界遺産委員会で決まる。

 推薦理由として「寺院建築や庭園群は浄土の世界を具現化した空間造形の傑作で、その精神性は宗教儀礼や行事を通じて現在に継承されている」ことを挙げた。

 同景観は12世紀に奥州藤原氏が仏教的な理念に基づいて造った中尊寺や毛越寺、無量光院跡などで構成され、面積は周辺地域も含めると約8800ヘクタール。12年に世界遺産の候補として政府が選ぶ「暫定リスト」に追加され、文化審議会文化財分科会は7月に推薦を了承していた。

 暫定リストには平泉のほか「石見銀山遺跡」「古都鎌倉の寺院・神社ほか」「彦根城」も記載されている。石見銀山遺跡については、今年1月に登録推薦書を世界遺産センターに提出した。

 国内の世界遺産は「法隆寺地域の仏教建造物」など10件の文化遺産と、「屋久島」「白神山地」「知床」の自然遺産3件が登録されている。

09/14 産経新聞
http://www.sankei.co.jp/news/060914/bun003.htm

利休の井戸、復活なるか

2006 - 08/12 [Sat] - 00:00

利休の井戸、復活なるか 大阪・玉造稲荷神社

2006年08月06日

 千利休が私邸を構え、茶道を完成させたといわれる地に隣接する玉造稲荷神社(大阪市中央区)で5日、江戸時代の井戸を復活する取り組みが始まった。

 同神社や市民団体が防災用や街おこしにと計画。先月の試し掘りでは直径約90センチの井筒が見つかっており、同じ場所をスコップで約7時間掘り下げた。

 当時の古銭などが出てきた後、深さ約2メートル50センチで水を含んだ層に当たった。鈴木一男宮司は「秀吉の時代をほうふつとさせる伝統の茶会が復活できるかも」。

http://www.asahi.com/life/update/0806/003.html

61年前に被爆 広島の路面電車が引退、展示へ

2006 - 07/22 [Sat] - 00:00

61年前に被爆 広島の路面電車が引退、展示へ

2006年07月19日

 被爆した後も補修を重ね、60年以上にわたって路面を走り続けてきた広島電鉄の「被爆電車」2両が引退し、うち1両が21日から広島市交通科学館(同市安佐南区長楽寺2丁目)で展示されることになった。18日朝、同市中区の同社江波(えば)車庫で搬出作業が始まった。

 1942年製の国産80人乗りで、爆心地から約3キロ離れた広島市内で被爆した。同社が運行を続けてきた被爆電車4両のうちの1両で、老朽化のためほかの1両とともに一線から退いた。

 総重量は約16トン。車体、冷房機などをクレーンで次々とつり上げ、トレーラーや大型トラックに積み込んでいった。科学館までは約20キロあり、最も重い車体は夜間にゆっくり運ぶ。展示の問い合わせは科学館(082・878・6211)。

http://www.asahi.com/life/update/0719/002.html

伊達家と徳川家、400年ぶり「当主会談」

2006 - 06/17 [Sat] - 00:00

伊達家と徳川家、400年ぶり「当主会談」

2006年06月18日

 天下統一の夢を競い合った伊達、徳川両家の「当主会談」が17日、仙台市で実現した。伊達家側は「上様の来仙は家康公以来400年ぶり」と大いに喜んだ。

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